【野人の最後】中西学引退。最後まで強くてかっこいいプロレスラーだった。
野人、引退
プロレス生活27年、不器用で謙虚で優し買った男のプロレス人生が幕を閉じた。
首の怪我
中西を語る上で外せないのは首の怪我である。
2011年6月4日、受身に失敗した中西学は首の骨を折り、
怪我直後は、「最悪寝たきり、良くても車椅子」とまで宣告された状態だった。
奇跡の復活
中西はそんな絶望的状態から、1年4ヶ月でプロレス界に戻ってきた。
寝たきり、車椅子生活を覚悟しなければならない状態だった。
トレーナーも「絶対に復帰は無理だ」と諦めていた。
そこから中西は奇跡の復活を果たしたのである。
「プロレスラーは超人です」と言葉を残したチャンピオンがいる。
そのような人知を、人体を超えることができたのはまさに、
中西学が超人、野人であることを示しているのだと思う。
動けない体との葛藤
しかし復帰後、中西は体を怪我前のように動かすことはできなかった。
立って歩けているだけでも奇跡、プロレスができるということはそれ以上の何かであった。
しかし、中西自身は自分の思う通りに動かせない体に葛藤を覚え続けていたのだろう。
高みのまま死ぬ
中西の引退で思い出したことがある。福本伸行が描いた「天-天和通りの快男児」の葬式編。アルツハイマーを患い、自ら命を絶とうとする赤木しげるに対する僧我三威の独白である。
おどれが朽ちて死ぬなんて似合わん
おどれはわしら凡人の・・・感覚や論理を越えて生きてきた人間・・・
天外の人間や・・・!
天外者は天外者のまま死ぬのがふさわしい
認めてやるわ・・・それがおどれの自然だと・・・!死ねっ・・!赤木・・・!
消えろっ・・・!高みのまま・・・・・!
出典 天-天和通りの快男児-17巻 僧我三威
超人である中西はいくら我々が「まだできる」と思っていても、意味のないことなのかもしれない。
自分の限界を悟った時、ズルズル朽ち果てていくのではなく、高みのまま死んで行きたかったのだろう。
中西学、最後の戦い
中西は最後まで、野人だった。
引退試合、最後の後楽園で中西はアルゼンチンバックブリーカーを棚橋に決める。
奇しくもIWGPを初めて取った、同じ後楽園ホールで、当時王者だった棚橋弘至に。
あの日、あの時と同じ会場、同じ相手、そして同じ技・・・
過去と現在とがつながるプロレスに、目から涙がこぼれ落ちた。
最後は新日本を引っ張る後輩たち4人の必殺技を受けて、壮絶に散った。
ハイフライフローを決め、中西を介錯した棚橋の目には涙が見えた。
会場のお客さん、第三世代の仲間、ワールドで観戦をしていた視聴者。
その全てが中西学という男の生き様に涙した。
ありがとう。中西学。
中西学の生き様を、これでもかと体感できた1日だった。
「まだやれる」という声も多い。
でも、そんな中で辞めるのも不器用で優しい、中西学らしいのかもしれない。
最後の胴上げも、でかすぎて高く上がらない姿も野人の凄さが最後まで出ていた。
本当に強くてカッコいいプロレスラーだった。
ありがとう。中西学。